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埼玉憲ジーの近場放浪記

2016年にサラリーマン生活から卒業して、窮々自適な年金生活に入りました。百名山と百観音もなんとかやり終えて、隊長けんの武蔵野レターもフィナーレ。家庭と懐事情から遠距離旅も引退やむ無しながら、せめて体が動くうちは、埼玉憲ジーの近場放浪記を続けることにしましょう。
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中山道木曽路歩き
 青春18キップ旅第3弾は、中央本線の南木曽駅から中津川までの中山道を辿って木曽路を歩きました。

8月に夜行列車に乗るのはもう3回目です。23日の金曜日仕事から帰って夕食、フロを終えて自宅発が23時30分。ひと足早く立川へ出かけた娘からダイヤ乱れのメールが入って冷やりとしましたが、0時40分頃なんとか無事に乗車できました。

アイマスク、耳栓、スリッパの夜行列車3点セットのおかげで?わずか4時間の車内でもなんとか体を休めて4時30分に松本到着。大糸線は大雨で運行中止とのことでしたが松本は曇り空ながら明るい空模様の中、時間調整で松本城を訪ねました。いつ見ても風格があって見事ですね。

松本駅からは始発6時27分の中央西線で名古屋方面へ向かって2時間で南木曽(なぎそ)駅下車。
ここから中山道歩きのスタートです。

少し三留野宿方面へ戻ったところに、福沢諭吉の養子・福沢桃介が電力事業の用で大正11年に架設したという桃介橋を見学。木曾川に架かる木製の橋で国の重要文化財です。

中山道と寄り添って流れる木曽川もここらあたりで方向転換。中山道は山に入っていくようです。

南木曽駅に戻ってここから旧中山道を辿ってまずは妻籠宿へ向かいます。

線路沿いの細道が三留野宿からの山道と合流して旧中山道は石畳の道が山を分け入って行きます。


関が原の合戦舞台ともなった妻籠城址の高台から、妻籠の宿場町が見下ろせました。

1時間余りで妻籠宿へ到着。入口の高札場から水車小屋の先が宿場道です。

道は舗装されているものの佇む家並みはまさに江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気です。

宿場の中ほどには参勤交代などで大名と供ぞろいが宿とした本陣と脇本陣がありました。本陣は大名の上に物を載せられないということで平屋建てですが、この脇本陣は木造ながら3階建て。明治期に建て替えられた建物は贅の限りを尽くした造りで、明治天皇の休憩の間や使用した調度品などもそのまま残っていました。

宿場の出口周辺はさらに古い家並みが続いて、世界遺産にしてもおかしくないような空間です。

私は、宿場の食堂でざるそばを食べて、中山道を先へ。妻籠宿はずれの駐車場の脇から、橋の中へ延びる細い道が馬籠宿へ続く中山道です。

緑に包まれた快適な林道を歩き続けて1時間ほどのところで、男滝、女滝に出会いました。これは勢いよく流れ落ちる男滝で落差は20mほどでしょうか?水しぶきを浴びて豪快です。このすぐ先には細いながらも優美な女滝もなかなかの風情でした。

汗をかきながら森を抜けて登りきったところで馬籠峠山頂に出ました。不横行801メートルで晴れた日には恵那山もよく見えるようですが、この日は雲の中でした。

しばらく舗装道路を歩いて長野県から岐阜県へ。ふたたび森の中の旧中山道を歩いて辿る伊那の里は中山道のハイライト木曽路です。

馬籠宿のすぐ手前は展望台になっていて日本百名山の恵那山が見渡せるはずなんですが、ご覧の通りスッポリと厚い雲に覆われていました。

妻籠から7.8キロ、2里歩いたところが馬籠宿。入口には石碑とどっしりとした蕎麦処が迎えてくれました。

高台にある馬籠宿はゆるやかな坂道が続いて、先のほうには山並みが望めます。

文豪・島崎藤村はここ馬籠の生まれで、立派な記念館がありましたが、なんとここは宿場の本陣跡。ということは島崎藤村の祖先の屋敷、つまり島崎家が馬籠の当主だったということです。

坂道が続く馬籠の宿場道も妻籠と並ぶ中山道の人気スポットで、この日も大勢の観光客が訪れていました。私は出口近くの店でぬれ煎餅と五平餅、ついでにソフトクリームを食べて、次の宿場へ向かいました。

馬籠から先はいわゆる観光コースではないので、舗装路の茶と白の小石混じりでそれと判る「中山道」をはずれないように伊那の里を歩き続けて1時間余りで落合宿に到着。島崎藤村の「夜明け前」の舞台にもなった所で、宿場町としても大いに栄えたようですが、今はこの本陣跡が面影を残すだけのようです。

そしてまたひたすら茶と白の小石道をたよりに1時間歩いて本日の終着地、中津川宿に16時20分に到着しました。スタートの南木曽駅から8時間近く。22キロの行程ですが、あっちこっち寄り道したので松本城まで含めると48,000歩、30キロ以上のロングウォークとなりました。

中津川駅前から見えているのは恵那山のようですが、結局この日は山頂を見ることはできませんでした。それでもなんとか雨に降られず、列車も往復ともほぼ平常どおり走ってくれて大満足。
自宅に辿り着いたのは23時過ぎでしたが、女子2人はまだ帰宅前で、ニャーとメス猫のクーちゃんが玄関まで出迎えてくれました。
| 隊長けん | | 16:40 | comments(1) | - |
夕景2題
夏の風物詩といえば花火大会ですが、今年は隅田川、葛飾、諏訪湖など大きな大会がいくつもゲリラ豪雨のせいで中止になってしまいました。
8月17日には都内3大花火の一つである「神宮外苑花火大会」が開かれて、私も出かけたんですが、やれやれこの日は安定した晴れに恵まれて、打ち上げ前のライブイベント実施中の神宮軟式野球場からの空は、見事な夕焼けに染まりました。
130817花火軟式夕焼け10%.JPG
花火大会の余韻冷めやらぬ週明けの月曜日の18時過ぎ。仕事を終えてさて帰ろうかなと思って事務所から出て外を眺めると、なんと夕日に染まりかけた聖路加タワーのすぐ右に月がぽっかり浮かんでいました。
都会の高層ビルと夕月のツーショットもまたいい眺めですね。
130819聖路加夕月10%.JPG
| 隊長けん | モブログ | 17:26 | comments(0) | - |
青春キップで小倉里帰り旅
 夏休み第2弾は、瀬戸内海から帰って1日出社をはさんで、8月7日の夜行列車またまたムーンライトながらに乗って、今度は尾道よりさらに遠く九州小倉駅まで乗り継ぎ。年に1回の恒例、2泊3日で里帰りを楽しんできました。

東京駅から普通列車で20時間、九州の玄関口小倉駅に降り立ったのは19時15分ですが、お盆も近い8月8日だというのにご覧のとおり夕焼け空。東京はもう夜ですよね。大体40分くらいは時間差があるようです。

駅からいったんホテルに寄って荷物を下ろして汗をぬぐってから里帰りの目的地、料理屋「知夫里」に着いたのが19時40分。ようやく夜のとばりも下り始めました。

まずは大将と直美ママに1年ぶりのごあいさつ。一時病気で大変だったママさんもなんとか元気なって迎えてくれました。

私の里帰りを聞いて?何人かの単身赴任時代からの飲み仲間も集まってくれました。実はほかに新ちゃんともう一人もいたんですがカンパイと絶品料理に舌鼓を打っているうちにカメラを出さずじまいで二人が帰ってからやっと写真を撮りました。

私とは2年ぶりの再会の一番の飲み仲間だったサダちゃんは3交代勤務の時間を調整してやってきてくれました。奥の方は私と同業他社の西部本社役員です。
22時頃まで店にいて定ちゃんは翌日も勤務のためにサヨナラしましたが、大将とママはわざわざこれもおなじみのカラオケスナックを予約して招待してくれました。いい気持でホテル着は東京ではトンとない午前様。徒歩5分だからよかったです。

翌日は6時起床のつもりが1時間近く寝坊。仕方ないから?ムカムカ胃袋になんとかホテルのサービス朝食を詰め込んでから小倉の名所・紫川沿いの小倉城を散策しました。

この日向かったのは本州に戻って下関から山陰線に乗り換えて2時間余りの仙崎漁港。大正から昭和初期の童謡詩人・金子みすずの故郷にちなんだみすず号に乗って日本海の旅です。

瀬戸内海とはまた違った風景が広がる車窓からは、九州との間の響灘の美しい景観が楽しめました。

日本海の広がりに沿って東へ進んだ先の長門市沖には仙崎から橋でつながった青海島がどっしりと横たわっていました。

まずは、みすず号の終着、クジラとかまぼこでも有名な仙崎漁港の玄関口仙崎駅で下車。

駅前からは金子みすずの生家前を一直線にみすず通りが海まで延びています。右手の文具店には道路に面した2階のみすず本人の部屋と机なども残されていて、隣が立派な記念館になっています。「あそぼうっていうとあそぼうってこたえる……こだまでしょうか、いいえ誰でも」というCMにも使われた詩でも知られる金子みすずですが、生前はかなりつらい生活もしたようですが、後の世にこれだけ名前が残れば幸せな人間だったと言えるのでしょうね。

みすず通りの突き当りを右に向くとこの連絡橋がかかっていて、渡った先は列車から見えていた青海島です。

連絡橋の上から恐る恐る仙崎港を覗きました。

急いで橋を渡ってから青海島に上陸。すぐ脇の階段を上がったところが展望公園で、仙崎の市街がまるで海に浮かぶ島のように見渡せました。

高所恐怖症なので?手すりにつかまりながら記念写真を撮りました。

青海島の海岸沿いをしばらくあるいていくと、なにやら青海島共和国国会議事堂の看板が…これも地域の町興しイベントでもあるのでしょう…奥に見える議事堂は廃校になった小学校のようです。

河岸線をさらに30分歩いてたどり着いたのがシーサイドホテル。砂浜には南国独特のシュロの木が植えられていました。

その先に広がる砂と石礫の混じった海岸線は「波の橋立」と名付けられた名所のようです。波で打ち寄せられた砂と石礫が積み重なった海岸線が独特だというのですが???…でも沖の島々や本土とのコントラストも絶景であることは確かです。

海岸脇には防風林ともなっている松林が続いていました。

その松林の内には青海湖と名付けられた湖が青い湖水をたたえていました。海に接しているので海水湖?かと思いましたが純粋な淡水湖で、農業用水とにも使われ、冬には北から渡り鳥も飛来してくるのだとか。この日もカモたちがたくさん湖面を泳いでいました。

青海湖からUターンして連絡橋を渡って仙崎漁港へ。ここは有数の漁港であるとともに、終戦当時舞鶴や新潟とともに大陸からの引き上げ船の基地になっていたところで、40万人の日本人が大陸から戻り、30万人の朝鮮や大陸人たちが日本から外地に出ていった歴史の港でもあったようです。

仙崎からは帰りの列車がないのでバスで山陰線の長門市駅へ出て、仙崎かまぼことなぜか博多めんたいこを土産に買って九州へ再上陸。小倉へ戻る前に私のお気に入りの門司港駅へ立ち寄りました。
レトロな造りで映画のロケにもよく使われる駅舎はただいま大改修中ですべて覆われていました。

駅前に広がる門司港の岸壁で関門橋をバックに最後の記念写真。撮ってくれたのは旅行中の男子学生グループです。

岸壁の先端まで行って関門大橋を撮影。左側が下関です。東京帰ってから聞いた話ではこの海の底にアメリカ軍の不発機雷が沈んでいるのがみつかったとかで、たしか8月12日くらいに自衛隊が沖まで運んで爆発させたとかいうニュースが流れていました。
まだ戦後は終わっていないんですね。

岸壁を振り返ると門司港の市街が目に入ります。高層マンションもある一方で、歴史的建造物も残っていて、いつきても門司港周辺はなかなかいい雰囲気の散策スペースです。

岸壁から対岸の下関の市街の上に沈む夕日が海を徐々に赤く染めていく時間になりました。

門司港から小倉に戻って、まら私の第2の故郷「知夫里」で大将、直美ママと再会。さらにこの日は娘さんのミカさんと孫のニコちゃんにも会うことができました。
ミカさんはなんと女子サッカー国体チームの福岡県代表です。まもなく行われる九州地区予選を勝ち上がれば今年の秋に東京で開催される国体に出場するのです。
東京での再会を約束してミカ、ニコ親子とサヨナラしました。
そして、別れを惜しみながら大将、直美ママに日銀マンも交えて、また絶品料理と芋焼酎を堪能してから、さすがにこの日はまっすぐホテルに引き上げたのでした。
楽しかった夏休み青春18キップ旅もこれで前後編の終了。10日の土曜日はさすがにまもなく62歳の体力を考えて、小倉から岡山までは新幹線利用…でも岡山から東京まではまた13時間かけて普通列車乗り継ぎで埼玉の自宅になんとか22時頃にたどり着きました。
| 隊長けん | | 12:32 | comments(0) | - |
青春キップで瀬戸内島巡り
 7月の後半は母の墓参りついでのスカイツリー周辺歩きと横浜美術館「プーシキン展」から「もりべ」の料理を味わって過ごした週末でしたが、8月に入ってようやく遠出を計画しました。

お盆休みの1週前、夏休み第一弾は、8月3日土曜日のムーンライトながらに乗って、2泊3日で瀬戸内海の島々と橋を巡る旅を楽しみました。

娘がネット予約で取ってくれたながらはやはり6両の指定がすべて満席でした。ちょうど1年ぶりですが、アイマスクと耳栓に折りたたみスリッパの3種の神器?があれば、足を伸ばせないことを除けば夜行列車もさほど苦になりませんでした。

大垣から乗り継いで12時過ぎに尾道着。今回のテーマは瀬戸内海の島々巡りです。

尾道は四国愛媛の今治につながるしまなみ海道の起点です。まずは路線バスで因島へ向かいます。

しまなみ海道は全長70キロほどもあって、自転車での走行も人気のようですが、今回は時間がないのとなにせ高所恐怖症の私としては、海上数十メートルの大橋を自力で渡るなんて考えただけでも足がすくんで絶対無理です。

向島の次が因島でここで路線バスは下車。瀬戸内海の島々を眺めながらバスに同乗した若い二人連れの女性にシャッターを押してもらいました。もちろん私もシャッター係やりましたよ。

因島からは福山から来るしまなみライナーに乗り継いで、生口島、大三島、伯方島、大島とそれぞれ海上の橋を渡って1時間ほどで今治駅に到着しました。生まれ故郷の四国・愛媛に降り立つのは石鎚山に登って以来5年ぶりです。

今治からは予讃線に乗り換えてまた青春18キップ旅で香川県の高松に向かいました。

高松には学生時代の友人であるHさんが商店街で高級メガネショップを開いていて久しぶりに再会。夕食は鳥料理と仕上げにはもちろん讃岐うどんで香川の味を満喫しました。彼の長男ケイイチ君は横浜の大学院生でギターとピアノでライブを開くシンガーソングライターです。

ホテルで足を伸ばして眠った翌日は今回の旅のメイン、小豆島観光に出かけました。駅からほど近い高松港に向かう途中には高松城址があるようですが、早朝でチラッと横目で通り過ぎました。

高松港からはオリーブラインというフェリーで小豆島に向かいます。しまなみ海道も小豆島も実は初めての場所です。

朝8時のフェリーが出航。高松市街も高層ビルが立って大都会の雰囲気ですね。

たくさんの島々が見渡せるしまなみ海道沿いの瀬戸内海とは趣が違いますが、フェリーが行きかうおだやかな光景も心が和みます。

ちょうど1時間ほどで瀬戸内海では淡路島に次いで大きな小豆島に着きました。

小豆島では限られた時間なので半日観光バスで島内を巡りました。
まずは港から市街向かう橋の下は、世界一狭いたった9.9メートルの、川ではなくこれがなんと海峡です。

小豆島といえば降り注ぐ太陽とオリーブの島のイメージですが、500メートルもの標高があって山の途中にはモンキーセンターがありました。

サル山には数百頭のニホンザルが放し飼いにされていましたが、うだるような暑さのこの日はさすがにサルたちもグロッキー気味で日陰でぐったりしていました。

バスは山の中腹にある日本三大渓谷の一つと言われる寒霞渓へ。ここでも野生のサルがいて観光客のお土産袋をひったくったりしてもいましたが、高台からの瀬戸内海の展望もなかなかでした。

一番奥の岬の先端あたりが映画で有名な「二十四の瞳」の舞台になった岬の分教場のあるところだそうです。

展望台からはロープウエーで標高差300メートルほどを渓谷美を楽しみながら下っていきました。

切り立った岩稜の先には瀬戸内海が広がっています。

ロープウエーを降りてバスは一路岬方面へ向かいます。ここは、戦前から戦後も20年ほど実際に子供たちが通っていた本物の分教場です。今回はバスの中から写真だけで通過しました。

本物の分教場の先をさらに岬の先端近くまで行ったところに、今から20数年前の2回目の映画化の時に建てられた「二十四の瞳」のロケセットがそのまま映画村として残されていました。

けっこう広い敷地には川が流れ、戦前の雰囲気そのままの商店や民家のセットが立ち並んで映画の世界にどっぷりと浸ることができます。とりあえず記念撮影しました。これはセルフタイマーです。

そしてここがセットの分教場。目の前は瀬戸内海です。セットとは思えないほどしっかりした建物で、出入りも自由です。

ここが大石先生と12人の子供たちが過ごした分教場の教室。もちろん教壇や黒板もあって、自分の小学校時代も思い出してしまいました。

ひまわり畑に囲まれた校舎。私が観た「二十四の瞳」は昭和29年製作の高峰秀子主演作ですが、もちろん後年に名画座で観て感動しました。この映画村でも町の映画館で実際に高峰秀子版を上映していてついしばし鑑賞してしまいました。

小豆島観光バスは映画村の後「オリーブ公園」を訪ねてから15時過ぎに土庄港に戻りました。5時間余りの駆け足観光でしたがソーメンとオリーブ葉のしおりなども土産にもらって楽しい時間でした。
バスから降りて大急ぎで今度は岡山港行のフェリーに乗車しました。

今度は1時間10分で新岡山港に到着。ここは船の発着だけの港で小さなターミナルがあるだけ。すぐにバスに乗り換えました。

路線バスで30分ほどで岡山駅に到着したのが17時35分。さっそくJR山陽本線に乗ってこの日の宿泊先明石駅へ。ビジネスホテル近くの居酒屋でたこの天ぷら、鯛のあただきと地魚にぎり寿司を日本酒の肴にして旅の夕食を楽しみました。

3日目最終日は島巡りの仕上げで淡路島です。明石から1駅の舞子という駅前が明石海峡大橋の高速バス停になっていてエスカレーターと階段で地上から20〜30メートルほどの高速道路上までけっこうビビりながら上がりました。

淡路島に渡って最初のバス停淡路ICで下車。淡路島はとてもゆっくり観光できる時間がないので、今回はバス停から徒歩10分の淡路島公園を散策して淡路島に行ったという記念だけで済ませることとしました。

垂れ込めた雲に覆われて展望はありませんが公園から明石海峡大橋がぼんやりながらほぼ見渡せました。

最終日の目的地最後が大阪。JR大阪駅から地下鉄御堂筋線に乗り換えてすぐの淀屋橋からほど近い、昨年竣工したばかりのフェスティバルホールのビルに立ち寄りました。それにしてもすごい建物ですね。

なんとその超近代的ビルの一画に、私の勤務先の大阪本社(別会社ですが)が入居しているのです。どうです広いオフィスには柱が1本もありません。
こんなビルのオフィスで働いていると自分が一流大会社の社員だと勘違いしそうだよね…と案内してくれた総務局長と話しました。

隣には数年後にはツインタワーとなるもう1棟のビル建設のために古い建物の取り壊しが始まっていました。

会社見学の後は徒歩で大阪駅へUターン。駅構内の食堂で地元に関わりのないパスタランチを食べて、ちょうど12時のJR東海道本線に乗車。途中前夜からの大雨の影響で遅れたりしながらも、なんとか普通列車を乗り継いで23時前になんとか自宅にたどり着くことができました。
| 隊長けん | | 12:02 | comments(0) | - |
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