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埼玉憲ジーの近場放浪記

2016年にサラリーマン生活から卒業して、窮々自適な年金生活に入りました。百名山と百観音もなんとかやり終えて、隊長けんの武蔵野レターもフィナーレ。家庭と懐事情から遠距離旅も引退やむ無しながら、せめて体が動くうちは、埼玉憲ジーの近場放浪記を続けることにしましょう。
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観音巡り8筑波山から霞ヶ浦
年内結願をめざしている坂東三十三観音霊場巡りの第8弾として、27日の日曜日に第25番札所・筑波山の大御堂(おおみどう)と第26番・土浦の清瀧寺(きよたきじ)を巡ってきました。

台風27号の影響で山歩きが中止となった土曜日は自宅でおとなしく過ごしたので、台風一過の日曜日に急遽11月だった計画を早めて、筑波エクスプレスのつくば駅からバスに乗りました。

日本百名山の筑波山は、パワースポットとしても有名なようで週末は大賑わいということで早めに出かけたおかげで8時の始発バスにすんなり乗れて40分で筑波神社の大鳥居前に着きました。

筑波山登山口へ向かう参道を登山者たちと一緒に歩いて間もなく左手に大御堂が見えてきました。登山口である神社にはもう何回も行っていますが、すぐ手前に大御堂観音があることすら知りませんでした。

本堂への石段前で証拠写真。神社と違って静かな境内で左手の真新しいお堂には大師が祀られ東日本大震災慰霊の碑があったのでまずは手を合わせてから本堂で型通りの勤行と千手観音の真言を唱えてから、9時になるのを待ってご朱印の記帳をいただきました。

せっかくだからということですぐ先の筑波山神社まで足を延してみました。石段と鳥居の正面が筑波山の山頂です。

神社の本殿は大きな鈴がシンボルのようで大御堂よりはるかに大規模です。ここでも神式に2礼2拝1礼をしてから、境内左手の登山口へちょっと寄ってからもちろん?登らずにそのまま神社を後にしました。

神社前からは関東平野の広がりが望めて青空もさわやか。ちょうどこの方向にあるはずの清瀧寺に向けて10数キロの道のりを歩いていくことにしました。

バス通りから南に向かう路地を下って、関東ふれあいの道に指定されているつくば道をひたすら辿っていくと、道すがらはのどかな風景にあふれて、柿の木はたわわに実をつけて、振り返ると畑の奥に女体山、男体山の双耳峰の筑波山がど〜んと裾野を広げていました。

1時間ほどでつくば道からバス道路に出て歩いていると、清瀧寺方面に向かうバスがやってきて……乗りたい…という気持ちをグッとこらえて歩き続けることさらに2時間。12時半にようやく近づいたところに小町の里の看板があったのでちょっと立ち寄りました。

かの小野小町が旅の果てにここ茨城の地で亡くなったという終焉の地なんだとか。初耳ですが、近くには墓所もあり、記念館は観光スポットとして整備されてけっこうな賑わい。大きな水車も回っていました。

寄り道から巡礼道に戻って間もなく清瀧寺の仁王門に到着。再三の火災を免れて残った天保年間1830年代建立の仁王門は、清瀧寺の歴史を感じさせてくれました。

聖徳太子の時代に開創という伝承のある清瀧寺ですが、再三の火災などもあって、境内のこじんまりした本堂は昭和52年に地元の篤志家たちによって再建されたコンクリート造りです。寺には住職も不在なので老人会ボランティアの方々が納経所に詰めていて、そのおかげでご朱印もいただくことができました。清瀧観音のご本尊は聖観世音菩薩像です。

清瀧寺からはさらに徒歩で1時間以上歩いてやっと県道のバス停へ出て、土浦駅へ向かいました。常磐線は何回も乗っていますが土浦駅は初めてです。あまりに立派な駅前なので驚きました。

土浦駅前からは琵琶湖に次ぐ日本第2の広さを誇る霞ヶ浦が広がっていますが、なんと私は霞ケ浦を訪ねたのも初めてなんです。駅前の入り江はヨットハーバーになっていて魚釣りを楽しむ人がたくさんいました。

湖畔沿いをしばらく歩いて観光船の乗り場を過ぎた先が港で、ようやく霞ケ浦の広がりが見渡せるところに出ました。もっともまだここは複雑な形状の霞ケ浦のくびれた部分のようで、湖面の広がりを実感するにはやはり観光船か夏場の帆掛け船に乗るのが絶好のようです。
この日は霞ケ浦のさわりだけを覗いてそそくさと土浦駅へUターン。そのまま常磐線に乗って夕方の5時過ぎには自宅へ帰り着きました。今日の2か所を入れて33か所巡りはようやく半分の17か所というところまできました。
| 隊長けん | | 18:28 | comments(0) | - |
坂東観音巡り7埼玉編
坂東三十三観音巡りは3連休の先週に続いて19日の土曜日も埼玉編として、通勤沿線の東武東上線で武蔵の国の札所を巡りました。

また台風が近づいているということで今朝も雨模様の中を武蔵嵐山駅からバスを乗り継いで、まずは第9番札所の慈光寺へ向かいました。

標高463mの都幾山の中腹、300mに堂宇が点在する慈光寺はバス停から30分ほどの上り坂が続いて山門に着きました。

順路に従って本堂から左手に上っていくとまずは般若心経堂があって堂内には国宝の般若心経の写しが展示されていました。巻物の長さは数メートルです。

さらに上っていったところにやっと観音堂。慈光寺の創建は天武天皇の時代のようですが、この観音堂は消失して江戸時代1803年に再建されたものでした。ご本尊は十一面千手千眼観音菩薩ですが、姿は見られませんでした。

観音堂正面はやはりさまざまに彫刻が施されていますがとくに白い馬が印象的ですね。

バスで武蔵嵐山に戻って次に降りたのは東松山駅。味噌ダレ焼き鳥と11月のスリーデーマーチで有名な所ですがいつの間にこんな立派な駅舎が建ったんでしょうか?

バスで15分の久保田から川沿いの田園風景を眺めながら向かったのは、第11番札所の吉見観音(岩殿山安楽寺)です。

ちょっと近道しようと思ったら道を間違えて温泉施設の中を抜けてUターンしてやっと辿り着きました。なかなか立派な山門です。

広い境内には大きな阿弥陀如来像が鎮座していて、吉見大仏の名前で知られているようです。

江戸時代初期に建立の本堂の中にはご本尊聖観世音菩薩のほか名工左甚五郎作の虎の彫刻が飾られているようですが、残念ながら見えませんでした。

本堂の脇にはまた立派な三重塔も聳えていました。これも江戸時代初期の建立です。

曇り空ながらなんとか雨が降らずに本日最後の札所巡りは、東松山駅のお隣り高坂駅から鳩山ニュータウン行きのバスで向かいました。

ずいぶん前に子供を連れて行った埼玉こども動物自然公園の手前の物見山登山口から舗装路を20分ほど。竜が住んでいたという伝説のある弁天池の脇からまっすぐに伸びた参道を上っていった先が、第10番札所の正法寺・岩殿観音です。

700年代に開創されたという岩殿観音ですが、たびたびの火災で今残るのは明治時代の建築ですが、この仁王門もなかなか見事です。

石段を上った先にひっそりと佇む観音堂ですが、堂内のご本尊は千手観世音菩薩です。

本堂の裏手の岩壁にはたくさんの石仏が並んでいますが、これらは坂東、秩父、西国の百観音と四国八十八ヶ所のうつし本尊なんだとか。ここでお参りすれば全部行ったことに…なるわけないですよね。

観音堂の脇には縦横に根が広がった巨大なイチョウの木があって、埼玉県の天然記念物に指定されていました。

観音堂からの帰り道。石段の下の山門からまっすぐに延びた参道は数百メートル続いて、行きに立ち寄った弁天池に出ますが、帰りは山門手前から裏手を回ってバス道路までショートカット。大東文化大学のキャンパスからバスに乗って高坂駅へ戻りました。
幸い、最後まで雨には降られず、通勤ルート沿線のコースだったので夕方17時前には自宅に辿り着くことができました。
| 隊長けん | | 18:59 | comments(0) | - |
JR記念切符で観音巡り4〜6
体育の日といえば7年後に決まった東京オリンピックが1964年に開催された時の開会式を記念して10月10日に定められた祝日ですが、今は10月第2日曜日の次の月曜日となったおかげで必ず3連休ができました。
今年の3連休は、ちょうど10月14日の鉄道記念日にちなんで発売されたJRの7,500円で普通列車3日間乗り放題キップを利用して、坂東三十三観音巡りを3日連続で自力で歩いてきました。

なんと幸運なことに3連休の天気予報はすべて晴れマーク。まず初日の土曜日は福島の県境に近い茨城県の最高峰・八溝山(やみぞさん)1022mの中腹に建つ21番札所「日輪寺」に参りました。日本三大名瀑の袋田の滝にも近い水郡線常陸大子駅からバスで30分の蛇穴から鳥居をくぐって登山道に入りました。

登山道とはいっても半分以上は舗装道で山頂近くまでマイカーで入れるところですが、樹林の道から湧水群を通って木の根の階段を登り切ったところが小広い山頂。周りは木々に覆われていました。

でも山頂脇にはご覧の天守型展望台が建てられていて、3階層を登ると360度の見事なパノラマが開けました。磐梯山や那須連峰などの山並みも見渡せるはずでしたが、青空の下の山々は雲に覆われて遠望は利きませんでした。それにしてもこの展望台は???ですね。

山頂から20分で日輪寺に到着。本堂だけのお寺で畳敷きの堂内もとても質素な造りでした。やはり地味目な?ご本尊十一面観音菩薩の前で対座して勤行を唱えて住職や助手?の女性とも親しく語らって、また山道を下って帰りました。

二日目の日曜日は高崎から伊香保温泉方面に向かいました。高崎駅から榛名湖行きのバスで30分。下車したのはドドメキという???な停留所ですが、周囲にはのどかな田園風景が広がっていました。

バス停前が白岩観音入口ということで上り坂を赤城山や関東平野の広がりを眺めながら歩くこと30分。前日の日輪寺とは打って変わって立派なたたずまいの15番札所長谷寺(ちょうこくじ)に到着。奥に頭だけ見える山が榛名山です。

仁王門から入った鐘楼前で証拠写真を撮りました。

本堂にはさまざまな彫刻も施されていてなかなかの佇まいですが、武田勝頼が世無道上人に命じて1580年に建立したものだとか。ここの十一面観音は秘伝ということでお前立ち観音に向かって勤行を唱えました。

さて、次の16番札所水沢観音までは、巡礼の基本に戻って歩いていくことにしました。真中に見えている榛名山・伊香保温泉近くまで16キロの行程です。この日は10月だというのに30度近い気温で、山に向かって北へ歩いていく…ということは上り坂の連続。歩くのは慣れている私も前日に続いてということでけっこうしんどかったです。

白岩観音から歩くこと4時間近く。標高600メートル地点で水沢うどんの看板が見えてきて、榛名山が間近に迫ったところでようやく到着です。

水沢観音への最後の石段。ここのところ調子の悪い右ひざが痛んできてこの程度の石段もけっこうつらかったです。

広い境内には本堂のほかにも六角堂や釈迦堂もあって、駐車場までに土産物店もたくさん並んでまさに観光地です。場所柄と水沢うどんの人気もあって大勢の人で賑わっていました。私はそれにめげず、千手観音に向かって勤行を唱えてからご朱印をいただきましたが、帰りに食べようと思っていた水沢うどんは、もう14時だというのにどの店も行列だったのであきらめて、高崎Uターンの予定を変更して最初に来たバスで渋川へ出て、結局予定より早く18時前に自宅にたどり着きました。

さて、茨城、群馬と歩いて3連休最終日の体育の日は2県の間、栃木県の観音巡りです。起点の宇都宮からバスで向かったのは、大谷石でも知られる町の第19番札所大谷観音です。

駅から30分のバス停からほど近いところに大谷観音の山門があってひざ痛には幸いでしたが、到着した8時45分はまだ開門前でした。

大谷観音のもう一つの見どころは身の丈27mという平和観音像で、大谷観音からすぐ近くの公園にそびえたっていました。私と比べれば巨大さがわかりますが、戦後間もない昭和23年から、なんと大谷石の岸壁を総手掘りで石工が彫り続けて8年の歳月をかけて開眼されたということでした。仏像左側の階段から肩近くまで上ってお顔を間近に見ることもできました。

9時になったのでさっそく大谷観音本堂へ参っておごそかに勤行を…する時間がなかったので手を合わせるだけで済ませました。それにしても大谷石の岸壁に彫られた千手観音の日本最古の石仏と脇にある平安時代、鎌倉時代にまでやはり岩壁に彫られた阿弥陀三尊像、釈迦三尊像も見ごたえ十分でした。

バスで宇都宮駅へ飛んで帰って、駅中の丸亀ぶっかけうどん(美味かった!!)を食べてから、この日は世界遺産の日光へ向かいました。JR日光駅前から東武日光駅と女峰山?太郎山?方面です。

ちょっと遅れてきた11時40分発の湯元温泉行きのバスは超満員。ダイヤで45分のところ2〜3時間かかるよという運転手の声にビビったものの誰も下車せず、日光市街といろは坂でノロノロと言葉通り2時間40分かかってようやく14時半に中禅寺湖畔にたどり着きました。威風堂々の男体山山頂は雲がかかっていました。

帰りはどうなることやらと気持ちがはやりながら、湖畔の中禅寺まで15分。さすが日光の二荒山神社の別院というだけあって立派な仁王門です。

境内正面の愛染堂の左手が立木観音の本堂。この右手入口から本堂の中へ入って、先客に交じって係員の説明を聞きながら延暦年間の784年に勝道上人が湖畔のカラの巨木に立木のまま刻んだという千手観音に向かい合って手を合わせました。

干支の片手数珠を購入して、道順に沿って五大堂へ上がると、回廊からは中禅寺湖が一望。陽光を浴びて輝く湖面と右手にそびえる男体山の景観はさすが世界遺産地区の価値があります。
華厳の滝やらゆっくりと日光見物とも思っていたんですが、帰路を考えるととてもとても…ご朱印をいただいてとんぼ返りでバス停へ戻ったのが15時半。日光滞在1時間でちょうどドンピシャの始発バスに、もちろん超満員の立ちっぱなしで…ところが思いがけず帰りは連休最終日のピークを過ぎた時間のせいか思ったよりスムースに、1時間足らずでJR日光駅へ着くことができました。 ヤレヤレ、おかげで当初計画から1時間遅れの列車に乗ることができて、外人さんだらけの日光線から宇都宮線に乗り換えて19時半には自宅にたどり着くことができした。
3日間で歩いたのは77,000歩。約50キロというところでしょうか!? これでやっと12か所。まだまだ先は長いものの右ひざもなんとかもってくれたのでまた来週から観音巡りの旅を続けられそうです。
| 隊長けん | | 20:48 | comments(0) | - |
坂東観音巡り3栃木蔵の街
 めっきり秋めいた10月最初の土曜日は終日の雨予報。年内一杯に坂東三十三観音霊場巡りをやっつけようと決めて、ほぼ毎週末に出かけなければならないスケジュールになってしまいました。
ということで、雨にも負けず行けそうなところを選んで、栃木駅からバスで1時間。終点が出流(いずる)観音の参道という満願寺だけを訪ねることにしました。

予報どおり雨が降り続いている栃木駅へは東武線ルートで8時半に到着。駅前の市営ふれあいバスが1時間に1本出ています。

けっこう狭い道を市内循環しながらということでミニバスで1時間。バス停から10分ほどで橋の向こうに山門が見えてきました。

出流山満願寺は日光開山の祖である勝道上人によって765年に開かれた由緒ある寺で、この仁王門1735年に建てられたもので、アウンの仁王像もどっしりとして壮大な雰囲気です。

仁王門からすぐの薬師堂もほぼ同年代の建築。今日は雨の中をお堂の中の片付けをしていました。

立派な宿坊や社務所、鐘楼を抜けて奥に進んでいくと石段の先に本堂が見えてきました。

この本堂は山門、薬師堂から30年ほど後の明和元年建立だとか。屋根を支える梁にはぐるっと四方にさまざまな彫刻が施されていてさすがの名刹の趣です。

参拝者が途切れたところで、一応巡礼の儀式に則って千手千眼観音の御真言と般若心経の勤行を唱えて所願成就を祈りました。

帰りのバスまで2時間あったので、奥の院まで入ってみました。雨にけぶる山道と苔むす水辺の道を15分ほど、やはり心も洗われるようです!?

奥の院の真下には出流川の源泉となる大悲の滝が流れています。落差8メートルで、修験者はここで修行をしていたようです。

見上げれば岩壁に張り付くように奥の院が聳え立っていました。

もちろん細い急峻な石段を登って奥の院のお堂に参りました。右奥の鍾乳洞の中にある、観音菩薩の後姿と言われる4メートルほどの鍾乳石がご本尊として安置されているとのことでした。

社務所で納経帳にご朱印をいただいて、山門を出たところが、橋のたもとにある手打ちそばの店。やはり素通りはさびしいので11時にちょっと早目のランチもりそばを頂きました。こしがあってなかなかおいしかったです。もちろんビールなんて飲んでませんよ。

11:55のふれあいバスで栃木駅へ…到着の少し前で途中下車。栃木は蔵の街として人気スポットなんですね。せっかくだから駅まで30分ほど散策しました。

知らなかったんですが、「路傍の石」で著名な文豪山本有三が栃木出身ということで記念館に立ち寄りました。彼の生家も蔵造りの商家だったようです。

黒塗りの商家が軒を並べて、なるほどレトロな雰囲気が街のあちこちに溢れていて、アラカン世代の私には心地よいひと時でした。
結局雨は降り続けていましたが、まあさほどでもなく快適な散策を終えて13:41の東武線で帰路につきました。早めに帰宅できたおかげで買い物やこのブログも夕食前に片付いたので、明日の日曜日はゆっくりと静養できそうです。
| 隊長けん | | 17:28 | comments(0) | - |
福岡から国体応援ファミリー
9月28日に味の素スタジアムで盛大な開会式が行われて、東京国体が開幕しました。
もちろん私個人には無縁なスポーツイベントですが、なんと私の第2の故郷・小倉の料理屋「知夫里」の大将、おかみさんの愛娘ミカちゃんが九州地区予選を勝ち抜いて福岡県代表チームの一員として女子サッカー大会に出場することになったのです。
アラサーのミカちゃんはなんと3歳のお嬢さんをもつママさん…ということではるばる小倉からジイジとバアバと3歳のニコちゃんに店の常連客と合わせて4人の応援団が1泊2日で上京してきたのです。
ということで埼玉県人の私も急遽福岡チーム応援団に加わって八王子の競技会場まで出かけてきました。

国体競技の1回戦は9月30日の月曜日。ということで前日の日曜日にチーム帯同のミカママと別行動の応援団と前祝の夕食を共にしました。昼間は時間たっぷりだったので有楽町で「許されざる者」の映画鑑賞。駅前広場ではJR秋田キャンペーンで竿灯まつりのデモンストレーションが行われていました。

夕方になって4人が泊まっている東京ドームホテルへ。この日はデーゲームで巨人:広島戦が行われていて、ウインズでは競馬G1レースの投票券発売と重なって後楽園界隈は大混雑でした。

ここが東京ドームホテル。私は職場後輩の結婚式以来10数年ぶりですが、一帯が東京ドームシティーとして整備されていて一大レジャースポットの趣きでした。

応援団チーム5人は後楽園駅ビルにある「北海道」という海鮮居酒屋で2時間ほどおいしい酒肴を口にしながら再会を喜び明日のサッカー試合の勝利を祈りました。

さて、月曜日の朝は、幸いゲームが10時開始だったので、仕事は午後出ということにして自宅から八王子の競技会場に9時過ぎに駆けつけました。試合前の練習風景です。

そしていよいよ福岡県チームのミカママ登場。実は地元北九州の所属チームのゲームが前日のあって、終了後にやっと東京に来てチームに合流したという強行日程でしたが、それでも元気にピッチに飛び出していきました。

チビッコと手をつないで両チームの先発メンバーが入場。背番号2のミカママはミッドフィルダーとして先発出場です。

午前10時ゲーム開始。対戦相手はなでしこジャパンの選手も加わっている強豪千葉県チームで、開始早々ほぼ一方的な千葉県ペースで福岡チームはゴール前に釘付けです。

八王子からのバスの乗り場を間違えたという応援団4人はゲーム開始間もなく到着。早くも気温30度近いカンカン照りのスタンドでニコちゃんも元気にハシャイでいました。

ジイジ、バアバは余りの日差しにビックリ。傘をさしているのが常連さんです。

バアバとニコちゃんはスタンドの手すりにつかまってミカママに声援を送っていましたが、あまりの暑さで観客の一人が倒れる事態が起きたため、応援団はグラウンド反対側の日陰の芝生席に移動しました。

そんなことをやっているうちに、押され気味だった福岡県チームがミカママの起点ボールから見事に先制点を上げましたが、まもなく千葉県チームもゴールして前半は1対1の同点。
後半に入って、相手選手の足を蹴ったとしてイエローカードをもらったミカママは連日のプレーの疲れもあってか、残り20分ほどのところで選手交代となりました。

それでもニコちゃんは福岡の熱烈応援男性と一緒に元気に応援を続けていました。

はしゃぎ回るニコちゃんを心配そうに?見守るバアバ。手前の男性も東京在住でお店に顔なじみの応援者です。

ミカママはピッチを離れたものの、劣勢の中から福岡県チームは後半残り15分ほどの時に見事な勝ち越しゴールを決めて、千葉県チーム必死の猛攻を凌いで見事に1回戦突破を果たしました。
ゲーム終了後スタンドから「おめでとう!」コールをする応援団とニコちゃんに気付いたミカママ(奥)も大喜びで声援に応えていました。手前の女子選手もニコちゃんとはお知り合いのようでした。
思いがけず??1回戦を突破したおかげでミカママはもう東京に居残り決定。1泊2日のツアーで駆け付けた応援団は泣く泣く夕方の新幹線で北九州へ戻ったようです。
ニコちゃんもさびしかったようですが、幸い???翌日の準々決勝で、福岡県チームはこの日東京を破った愛媛県チームに2−3で惜敗して、ミカママも1日遅れで北九州へ帰宅したようです。
| 隊長けん | - | 22:10 | comments(0) | - |
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