今年の夏休みは、お盆前の8月6日から、恒例の第2のふるさと北九州小倉へ里帰りと世界文化遺産巡りの旅に出かけてきました。
元気な頃は青春18きっぷで夜行列車から普通列車を乗り継いで20時間かけて行ったりしましたが、ここ数年は飛行機で出張パックや新幹線も利用しましたが、今回はなんと夜行バスにチャレンジ?しました。
5日水曜日の新宿発の夜行バスは4列シートながら、リクライニングに足も延ばせてまずまず快適でした。まずは10時間かけて、6日の朝8時40分に下車したのは姫路駅。
JR播但線に2時間乗って向かったのは、日本のマチュピチュと呼ばれる竹田城跡です。
駅前から線路を渡ってぐるっと反対側に回ったところが標高353mへの駅裏登山道のスタートです。
猛暑の中の上り坂が続いてわずか30分程ながら全身汗ぐっしょり。竹田城下の街並みが広がり、後方の山からは季節によっては雲海に浮かぶ城跡を望む展望台となります。
ここが日本のマチュピチュと言われる所以の、本丸から二の丸、千畳と何段にも石垣が重なった山頂の城跡です。
てっぺんの本丸跡を背景にボランティアガイドさんに証拠写真を撮ってもらいました。
中米のマチュピチュはまさに世界遺産ですが、竹田城跡は世界遺産ではないものの見事な日本の文化遺産で、秋から冬にかけての朝霧に包まれた時の雲に浮かぶ光景はまさに絶景のようです。
竹田城跡近くでおろしそばと生ビールの昼食を摂ってからJRで姫路駅にUターン。今度はまさに世界遺産の姫路城を訪ねました。
今年大改修が終わって、白鷺城の名にふさわしく美しい白壁の天守閣がそびえて、二の丸や多くの建築が広がって日本を代表する名城にふさわしい威容を見ることができました。
姫路からは、さすがにバスや普通列車では深夜になるので仕方なく?新幹線さくらに乗って19時前に九州の玄関口・小倉駅に到着しました。駅前に立った途端違和感なくマイタウンの気分を感じられました。
汗ぐっしょりの体を定宿のホテル西鉄インでシャワーで流して、さっぱりしてからおなじみの店「知夫里」に向かいました。おかみさんが笑顔でお出迎えです。
私よりふたつ年上の大将もますます元気に腕を振るってくれました。
なんと3,500円でおまかせコースの料理は刺身、ハモ、肉豆腐、いわしのぬか炊きに始まって唐揚げ、ごまさば、たまご豆腐その他に仕上げは絶品カレーライスまで。さらにビールも焼酎も日本酒も飲み放題です。この日は先週から始まった小倉競馬の関係者も来客。カウンターにはN銀行のゆうさくさんや女子サッカー国体福岡県代表のミカさん応援団仲間のY田さんとも旧交を温めることができました。
やっとホテルで眠った翌朝7日は5時起き。「明治日本の産業革命遺産群」として世界遺産登録が決まったばかりの山口県・萩を訪ねました。この日も35度を超える猛暑日ということもあってレンタルサイクルで城下街を巡ることにしました。
萩といえば幕末を彩った維新の志士たちの活躍の場としても有名ですが、まずは東萩駅から西北に向かって毛利家の萩城址である指月公園へ。正面の小高い山の上に城が築かれていたようです。
城を囲む石垣と堀の景観もなかなかに見事です。公園の裏はもう日本海で石垣からすぐ砂浜と真夏の海原が広がっていました。
城下町の中ほどに戻ると途中にある萩博物館に立ち寄り。私のお目当ては大河ドラマ「花燃ゆ」にちなんだ展示です。
幕末の激動の歴史と登場人物ゆかりの展示に加えて、食堂には大河ドラマでさかんに主人公のふみが握っていたおにぎりを再現した「文にぎり定食」なるメニューがあったので注文しました。地元のヘルシー具材を使った素朴な味でなかなか美味でした。
武家屋敷や商家などを見ながら街の中心部に戻ったところでまずは、長州の英雄・高杉晋作の生家を見学しました。
そして、期間限定で開設されている「花燃ゆ大河ドラマ館」も見学。ドラマの主人公・文と吉田松陰が暮らした住居セットなどなど楽しめる展示が盛りだくさんでした。
展示場の場所はまさに江戸期から長州の藩校であった明倫館の敷地で、今も歴史的建造物として木造の大きな建物が何棟も残っていました。
自転車で街を抜けて踏切を越えて駅の東側をしばらく行ったところが、松陰神社です。
いうまでもなくここが吉田松陰が開いた松下村塾の跡地。右が講義室で左は控えの間で、まさに日本の夜明けを夢見た塾生のための学びの場となった聖地です。吉田松陰を慕って集った伊藤博文や高杉晋作。久坂玄瑞ほか多くの幕末日本の立役者たちの志と息吹が感じられるたたずまいでした。
自転車で北東へ日本海に向かってゆく大通り沿いには、まさに今回世界遺産に登録された萩の反射炉跡がありました。
西洋の大砲に対抗できる日本の鉄製大砲の鋳造に必要な金属溶解炉として建てられた高さ10.5mの2本のレンガ煙突と地下の溶解設備で設計された建造物ですが、試験生産は行われたものの、実用化には至らなかったようです。
駅への帰り道、松陰神社の脇にはここも世界遺産のひとつである、洋式の青銅砲を鋳造した郡司鋳造所の遺構が残っていました。
城下町萩市内の西から東と北を自転車でぐるっと巡って4時間半。朝が山陽本線経由のルートだったので帰りは山陰本線で海岸線に沿って下関経由で小倉駅に帰着。
もちろんこの日も夜は「知夫里」でたっぷりと美食と自分で買ってきた萩の銘酒「東洋美人」を堪能しました。国体福岡県代表女子サッカーチームのミカキャプテン母娘にも出会え、もう10年近い小倉仲間さだちゃんも休日返上で来店してくれました。
いよいよ最終日、8日の土曜日は北九州の世界遺産を訪ねる旅です。降り立った駅は小倉から1時間半の筑豊本線無人駅・筑前垣生(ちくぜんはぶ)です。赤いポストもまさに昭和のままです。
駅近くの地域交流センターで予習してからシャトルバスで向かったのは八幡製鉄所までの大量の水の供給基地「遠賀川水源地ポンプ室」です。
すぐ脇の大河・遠賀川が製鉄のための大量の水の水源で、明治後期にここから10キロ近くパイプを敷いて製鉄所まで水を運んだのでした。今もなお現役施設ということで敷地内の立ち入りは禁止でした。
次の目的地は水がたどりついた八幡製鉄所の旧本事務所です。官営八幡製鉄所創業前の1899年に竣工した赤レンガ構造の初代本事務所が中枢拠点としての機能を果たしていたようです。
日本海に面して建てられた八幡製鉄所は専用の鉄路と港も所有していて、明治日本の産業革命とも謂われる飛躍的な近代工業化の発展に大きく貢献した製鉄巨大産業の礎を築いた施設です。
八幡製鉄所の敷地には1901年から数十年稼働していた東田地区の第一高炉跡がこれも世界遺産に登録されています。
建物にも自由に入れるようになっていて、当時の工夫たちの製鉄作業の様子がフィギュアで再現されていました。
八幡製鉄所からは鹿児島本線に乗って、小倉を通過して、私のお気に入りスポットである門司港に立ち寄りました。もう2年前からレトロな駅舎の大規模修繕工事が続いていますが、なんといまだ工事シートの中。完成は3年後ということでビックリしました。工事デッキから門司港の眺めですが、食堂の主人もさすがに長すぎるよねえと言っていました。
今年の夏休み第2のふるさと里帰りもこれでおしまい。最後の晩餐もやはり小倉の「知夫里」でたっぷりと名残を惜しんでから、20時過ぎの今度は新宿まで直行14時間の夜行バスで帰路に着いたのです。